Gibson.comにて不定期連載を続けておりますLegends of the Les Paulでは、Les Paulをプレイしていただけではなく、イメージ的にもサウンド的にも欠かせない相棒と呼べるほどにLes Paulと密接な関係にあったロックのアイコン達(ロックを象徴するスター達)に焦点を当てています。ギターはスターの卵達が正真正銘のスターになるのに貢献し、スター達は、彼ら自身の力で彼らの愛した特定のLes Paulを伝説的なステータスにまで高めていきました。
Legends of the Les Paul(伝説的なレス・ポール・プレイヤー)と呼ばれる有資格者とは、巨匠レベルの高い演奏能力やワールドクラスのギターヒーローと認められるような焼き尽くすような熱いトーンを有する名手達が大勢を占めますが、今回の記事でフォーカスするプレイヤーは、別の方向性から音楽に殴り込みをかけたことによって偉業を成し遂げました。パンクの生みの親のひとり、Sex PistolsのSteve Jonesはギター界において究極のアンチヒーローです。正しくそのとおりで、スティーヴはステージ上から、まだギターを始めてから数ヶ月だというのに、ギターアンプのスピーカー部分のグリル布の部分に皮肉に満ちた宣言、“Guitar Hero”と書いた転写シートを貼り付け、聴衆に対してアンチヒーローぶりを文字通り宣言していました。
しかしながら、そのスティーヴのギターは、当時大西洋の両側、つまり北米とヨーロッパの両方で同時期にパンクス達が怒り狂いながら振り回していた安物のギターやスチューデントモデル(ギターの入門機)とは程遠いシロモノだったのです。そう彼の兵器・愛器は目を見張るようなハイエンドギターで、当時70年代後半にアリーナ級のステージを闊歩するような商業的成功の中にいるロックスターに相応しいようなギター、Gibson Les Paul Customだったのです。 さあ、ここで、富裕層でなければ手にできないギターを所有することとパンクの反逆的な気風とは一致するものなのでしょうか?ストリートでの聴衆の信頼を失うことなく。答えはシンプルです。失敬したのでしょうか?
Criminally Custom
Steve Jonesのプレイヤーとしての経歴について語られる時、それはイコール、真偽のほどは別にしても、SteveがどうやってあのLes Paul Customを失敬して手に入れたかという逸話といっしょくたにされています。1) ミック・ロンソンから失敬した。David Bowieのコンサートでのバックステージにて。もしくは、2) Paul McCartneyから失敬した。加えてツイン・リヴァーブ・アンプも、1) Bob Marleyのツアー機材車から失敬した。もしくは、2) …またもやDavid Bowieのコンサート中に失敬した、などです。(注記。あくまでも逸話です。)そうこうしている間にも、文字通りパンクな言動で知られるSex Pistolsのリード・ヴォーカルであるJohnny “Rotten” Lydonはなんと、過去にKeith Richardsの家からPA機材を失敬したことがある、という逸話をぶちまけてしまう始末です。音楽的偉業を為したスターが!です。
そんな中で、これは後年Jones自らによりシラフの状態で語られたのですが、あのLes Paul Customは完全に合法なルートで彼の手元に収まったようです。そう話した後Steveは、若い時分の話でありますが、まだギターの弾き方すら分からなかった頃、他人のギターを失敬してしまったこともあるということを、Gibson.comのJerry McCullyに告白しました。“ピストルズでプレイし出した時のギターは、ピストルズのマネージャーであるMalcolm McLarenが実際にニューヨークから、Sylvainから連れ帰ってきたギターで、白いGibson Les Paulでした。確か、74年製の白いカスタムでした”
Sylvain、彼もまたパンクのアイコン(創造者・ヒーロー)です。New York Dollsのギタリストで、Les Paul Juniorの使用がより知られているのですが、噂によれば、ピストルズのパフォーマンス時にSteveのギターで見え隠れしていたあの2枚のピンアップ・ステッカーは、Sylvainが貼っていたもののようです。またSylvainは、大西洋の彼方へマクラーレンとそのギターを送り出す前に、既にギターのピックガードを剝がしてピックアップ・カヴァーは取り除いて使用していたようでした。Jonesはそのギターを入手後、ギターをニコチンのヤニに晒すことで、ギターはもともとのArctic Whiteカラーからより黄ばみを帯びた色合いへ変色していきました。
Learning at the Speed of Sound
JonesはもともとMcClarenにより、影響力が絶大なパンクバンドのリード・ヴォーカル要員として呼ばれてきていました。しかし、Rottenがバンドに加わった際、Jonesはギターへ担当変更となりました。その時、本当にまだ弾けなかったにもかかわらずにです。74年製Les Paul Customを手にすると、Jonesは、Sex Pistolsのギグが開始する前の3ヶ月間で基本的な弾き方を習得しました。あの歴史的名作、Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex PistolsのレコーディングのためにGibsonをスタジオに持ち込んだとき、まだギターを始めて1年すら経過していない頃だったのです。
Jonesはまだビギナーの状態であったにもかかわらず、ピストルズのスタジオレコーディング時のJones のギタートーンは、危険なほどにビッグでぶっとく、ひたすらに伝染性を帯びていました。言い換えれば、それこそ、怒りの中で炸裂するLes Paulのトーンであり、また、同時代の他のパンク・ギタリスト達と比べてみてもよりスイートできわどさを帯びたものでした。
Sex Pistols時代の後、Jonesは大量のコラボレーションやソロ・プロジェクトをこなしてきました。中でも、Billy Idol、Joan Jett、Adam Ant、Thin Lizzy、Iggy Pop、Megadeth、David Byrne、Brian Enoのようなアーティストとのコラボレーションが目を引きます。Jonesの1987年のソロアルバム、Mercyからの1曲は Miami Vice(米国のTV番組)のある放映回の中でフィーチャーされたこともあったり、Jones 自身も数度にわたり役者として銀幕に登場したり、Roseanne、Californication、 Portlandiaでは端役者として参加しました。残念ながら、あの白いLes Paul Customはそれらの作品では拝めないのですけれど。