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私にはジャズギターがよく分かりません。その点について私はこう言いますね。ジャズに見られる特別な才能の真価を認めないという意味ではないのですが、私は本当にジャズがプレイできないし、ジャズといったら自分の理解の及ばない手探り状態のようなものだと思っているのです。はい、私が悪いんですよ。これは!

しかしながら、もし仲間のプレイヤーにジャズギターについて興味があるかと訊かれれば、私には完璧な回答があるんです。正直に私はこう言いますね。 “はい、私は本当にグラント・グリーンが好きですね” 加えて以下の表現が、こうやって虚勢を張る人間(私ですよ)の完璧な回答です。まずひとつめ、グリーンの音楽はとてもとっつき易いです。この音楽を嫌いなヒトのほうが珍しいくらいでしょう。加えて、グリーンは、私がジャズのヒーローを注意深くセレクトするのに際し、私の判断が適切に見えるような主流派のビッグネームではほとんどない、ということなのです。どうでしょう? ダブルウィンです!

もちろんこれは、いかなるジャンルの音楽についても慣れ親しんでいくことに対し、幾分皮肉まじりなアプローチではあります。しかし、もし皆様がジャズギターはあまり馴染めないな、と思われるのであれば、グラント・グリーンほどジャズへの入口としてとっつき易い音楽はないのでは! と語気を強めてお勧めできるのです。

 

 

グラント・グリーンとは?

セントルイス生まれのグラント・グリーン(1935-1979)は間違いなく、ジャズにおける不遇のヒーローのひとりでしょう。ジム・ホール、ケニー・バレル、ウェス・モンゴメリー、ジョー・パスらほどには賞賛されることは決してなく、それでもなお、彼は信じられないほどの多くの作品を遺してきました。グリーンは、ソウルジャズの最盛期において、ほとんどブルーノートのお抱えギタリストだったのです。(1961年から1965年の間、ブルーノート・レーベルのために他の誰よりも多くの吹き込みに参加していたのです) その時期、彼はリーダー・アルバムとして数作の崇高な傑作も世に送り出しています。

グリーンにとってのギターヒーローは、チャーリー・クリスチャンでした。しかし、グリーンが一番影響を受けたのはサキソフォニスト達の演奏で、とりわけその中でもチャーリー・パーカーだったのです。グリーンのスタイルは和音中心のコーダルなアプローチというよりは、シングル・ラインが中心のリニアなアプローチだったのです。それにより、彼のソロのアプローチはブルース演奏のリック(定番フレーズ)に慣れ親しんだギタリスト達にとって、よりとっつき易く馴染みやすいものだったのです。グリーンのシンプルなコンセプトや即時性・即興性はあらゆる作品を支えました。ハードバップであろうが、ファンク/ソウルであろうが、ラテン系の作品であろうが。しかしながら、彼の多才さが災いして、グリーンはしばしば、純粋すぎるジャズ原理主義者に“ブルース・プレイヤー”と烙印を押されていました。ある忘れられないレヴューでは、かれの音楽を、“thinking man’s grits-and-gravy” と評価しました。偉大なジャズブルースで、スイングしまくりの“Down Here On The Ground”を聴いてみてください。

ドラッグ中毒やドラッグ所持による収監など、幾度も繰り返すグリーンの個人的な問題により、メインストリームのジャズのスタイルの中でのグリーンの才能と影響力は弱まっていきました。ところが、1960年代の後半以降、エッジの効いたファンキーなスタイルでシーンに強烈な返り咲きを果たすことになります。本当に、彼の活動後期のレコーディング内容は純粋なジャズファン達の評価を完全に二分するものですが、一部の評価では、グリーンこそが“Acid Jazzの生みの親”とみなす向きも多いのです。A Tribe Called Quest, Public Enemy, Wu Tang ClanやKendrick Lamarなどのヒップホップ・アーティストたちは、現代において過去のグリーンの作品を自身の作品のためにサンプリングして取り入れています。しかし、グリーンの活動していた時代に彼は、70年代のjazzつまりジャズがフュージョンに衣替えしたスタイルとは歩調が合っていませんでした。ジョン・スコフィールドが1970年代のことを述懐しています。“当時はスピードがすべてでした…反面、グリーンはまるですべてを速度を落とした感じでプレイしていました。彼は実際には強烈にスイングしていたんだということが分かったのは、実は暫く経ってからだったんだ。ボストンのConnelly’sでオルガン入りのグループでのグリーンの演奏を見たことがあって、ほとんどの曲はファンクだったんだ。グリーンには止めようにも止まらない強力なスイング感があったんだね”

これはよくあることですが、グリーンの才能は、彼の没後まで正等に評価されることがありませんでした。彼の吹き込みによる多くの作品は、彼が43歳に心臓発作で亡くなった後、彼の死後にリリースされたのです。

グリーンは1979年にニューヨークで、George BensonのBreezin' Loungeに参加しました。端的に言って、グリーンにはお金が必要だったからです。グリーン本人が1975年にGuitar Playerに語ったところによるとこうです。“先ず、第一にビジネスマンにならないといけないのさ。アーティストであることは二の次さ。聴衆が聞きたくないものをプレイするわけにはいかないんだ”

活動後期のグリーンは、つい少し前に心臓発作を経験したばかりだというのに、医師の助言に背を向けていっそう演奏に没頭するようになりました。当時のジャズの大立者であるベンソンは、喜んでグリーンの手助けをしました。ベンソンは後に、当時グリーンにどのような言葉をかけたのか回想しました。“あなたは私よりも優れたギタープレーヤーですよ。いや、これは適切な言い方ではないですね、グラント。実際は、聴衆が私をあなた以上の存在にしたて上げているんだ。私は自分が一番のジャズギタリストだって言っては回らないからね。私にはあなたグラントが一番のギタリストなんだって分かってるからさ”

 

 

シグネチャー・サウンド

私がグラント・グリーンのことが大好きな理由は、彼の演奏は抑制がきいているからです。彼の最もジャジーな側面でも、アヴァンギャルドになろうとコースから外れた方向には決して向かわないというところです。彼の内面に宿るリズム感は圧巻です。彼の突き刺すような単音のメロディライン、スタッカート音の活用、ハンマリングオンのトリル奏法、クリーンで流れるようなタッチなどが一体となり、グラント・グリーンの音楽だと認識できるレヴェルに留まらず、聴いていて最高なレヴェルの音楽になっているところが素晴らしいのです。彼はブルースギターファンのためのジャズプレイヤーなのです。

これは、グリーンがジャズのレベルを下げて聴衆に分かり易くしている、ということとはまったく違います。グリーンは純粋に、見せびらかすための技術以上にメロディの重要性と価値が分かっているのです。実際に彼は、皆様がこれから聴くことになる、もっともファンキーなジャズギタリストのひとりなのです。ジム・ホールに祝福を!ただし、皆さん考えてみてください。ジム・ホールの演奏に合わせて踊ったことがありますか??(ないでしょう!) グリーンのお気に入り、ギター、オルガン、ドラムからなる鉄壁のトリオであれば踊れるでしょう。ですが、だからと言ってグリーンはバラード演奏が不得手だとは言っていません。グリーンのテイクの“‘Round About Midnight”を聴いてみてください。そのテイクでは、ジャズのスモーキーなロマンチシズムと深いファンクネスが同居しています。

重要なことは、グリーンはリフとメロディ主導のジャズマンだということです。もしかしたら、彼は他のジャズマンが持つ複雑なハーモニーのセンスを欠いていたのかもしれません。ただ、それは問題でしょうか?一部のジャズマンの間では未だに、大胆にも成功を収めたためにジョージ・ベンソンを軽視している向きも存在します。ただ、ベンソンはグリーンの魅力を完全に理解しています。“グラント・グリーンはアイコン(象徴的存在)だったんだ” とベンソンは語っています。“ギタリスト達はグラント・グリーンの秘技を自分に取り入れようと必死だったんだ。また、一般的な意味で純粋に彼のグルーヴのファンだという人々もいたんだ。グラントはギターの核心に迫ってギターを最高に歌わせることができたんだ…彼にしかできない芸当だろうね”

 

グラント・グリーンとギブソン

ジャズギターのトーンは、時に私の耳にはモコモコしたサウンドに聞こえることがあります。しかし、グリーンのサウンドにはそんなことはなく、実際にはそのトーンにはエッジの効いたスパイスが加味されていました。多くのジャズプレイヤーのように、グリーンは概ねギブソンファンでしたが、グリーンはただ偉大なジャズマンの先人達をなぞるだけのジャズマンではありませんでした。1960年頃に初めてニューヨークに進出してきて以来、グリーンはGibson ES-330を使用し、後にノンカッタウェーヴァージョンのGibson L-7 with a Gibson McCarty pickguard/pickup、ノンカッタウェーヴァージョンのEpiphone Emperor (L-7同様にマッカーティ・ピックガード/ピックアップ付き)、そして晩年はカスタムビルトのダキストを使用しました。

 

 

Gibson’s ES-330はしばしばES-335から派生したギターと考えられています。事実、似てはいるのですが、これら2本のギターはかなり違います。定番のジャズギターであるセミソリッド構造のES-335とは異なり、ES-330はシンラインのボディ厚を持つ完全なホロー(中空)のボディ構造をもちます。このホロー構造により、ES-330はトラピーズ・テイルピース仕様となります。ストップバー・テイルピースをマウントするためのセンターブロックがES-330には無いためです。また、ES-330は構造的な理由により時に、フィードバックやハウリングを起すことがあります。そのため、グリーンは他のジャズギタリストよりもエッジを効かせたサウンドに設定していました。1961年リリースの“Grant’s Dimensions”の頃は若干ディストーションを効かせていましたが、それは多分にES-330のP-90ピックアップの特性によるところが大きかったのです。グリーンの友達であるベンソンによると、グラントのトーンは彼のアンプの設定によるところが大きく、ベースとトレブルを抑え、実際のギターの素のサウンドよりもミッドレンジをブーストしたものでした。

グリーンはまた、今日とてもレアとなった、またBB Kingにも使用されていた、4発の12インチスピーカーと2発の10インチ・ホーンスピーカーをもつGibson Les Paul LP-12アンプのファンでした。

 

試聴必須の楽曲リスト

グリーンの偉大さは、彼があらゆるジャンルをカヴァーしていたところです。ラテンの作品、バラード、ゴスペル、カヴァー曲、そして強烈なファンクの楽曲などです。ですが、おそらく紛らわしい点は、彼の演奏の多くは、他のバンドリーダー名義の作品群に収められているというところです。

さあ、どの作品からいきましょうか?Retrospectiveでは、落ち着き払って全体像を示すような作品への貢献ぶりを示しています。グラントの自作曲も含め、Jimmy Smith, Lou Donaldson, Big John Pattonなどのジャズ・グレイツ達とのトラックが収められています。Idle Moments、熱狂のライヴ盤であるLive At The Lighthouse、ゆったりとしたMatadorなどは今も再発されているグリーン名義のリーダーアルバムです。

ジャズからファンクへと軸足を変えることになったアルバムとしては、Green Is Beautiful (1970) やThe Final Comedown (1972)、Billy Dee Williamsの映像作品 “blaxploitation”へのカヴァー曲のサントラなど、これから聴き漁ることになる皆様には試聴必須盤となるでしょう。コンピレーション盤のAin’t It Funky Now!For The Funk Of Itは圧巻です。“Ain’t It Funky Now”, “Cantaloupe Woman”, “The Windjammer”、 “Sookie Sookie”などはもしかしたら皆様が既にご存知のファンク曲かもしれませんが、グリーンによるものだとはご存知ないかもしれません。

今まで申し上げてきましたが、ジャズにお詳しい方々はまた違ったふうに考えるかもしれません。最後に、私は自分で認めますね。私は本当にジャズを理解はできてはいません。はっきりいえることは、グラント・グリーンはとにかくかっこいいということです。