Gibson J-45がワークホース(馬車馬のように頼りがいのあるギター)として知られているのならば、SJ-200はsomething else(この上ない格別の存在)です。この大型ボディを持つギターは完全なるサラブレッドでサイズもサウンドもビッグ、存在感のあるルックスにははっとさせられますし、世界中のギタリストたちにKing of the Flat Tops(フラット・トップ・ギターの王様)としての認知も十分です。
All Hail King of the Flat Tops!
1938年のカタログに初めて掲載されたのですが、一番最初のJ-200は1937年に製作されていました。さあ直ぐにでも、80歳の誕生パーティを開きましょう。最終的には、J-200モデルはおそらく今まで製作されたどのアコースティック・ギターよりも最も著名なギターでしょう。その理由の多くは、ひとそれぞれの好みの違いはあるにしろ、やはりそのヴィジュアル(ルックス)でしょう。
17インチのボディ幅を持ち、オリジナルのSuper Jumboは他のどんなギターよりも文字とおりビッグでした。どんなギターよりもサウンドはラウドで、デザインはどのギターよりも装飾の工夫が凝らされています!花柄のピックガード、マスターシュ・ブリッジ(口髭のような形状に由来)、指板には“crest”インレイを擁し、SJ-200からは、他のどんなアコースティックギターからよりも、より華やかな美しさがほとばしり出ています。昔も今も変わらずにそうですよね。
J-200は当初は、カスタムオーダーでのみ、ミシガン州のカラマズー工場にて生産されており、当時のカウボーイ・シンガーの使用とともに成功を収めていきました。Ray Whitleyが最初の1本を手にし、程なく当時のギブソンカタログは、Whitley、Gene Autry、Ray “Crash” Corrigan、Tex Ritterらとともにそれぞれの名前がインレイされた“Super Jumbo”(当時はそう呼んでいました)の写真を掲載していました。暫くすると、ショーで最高に映えるこのギターは標準化されたデザインと名前をもつようになります。その価格を商品名に採用するというシンプルなギブソン社の商品名の命名法により、SJ-200として販売されるようになりました。追加で$50を用意すれば、指板上にカスタマーの名前をインレイすることもできました。1938年当時の$200は大金でしたが、今日のSJ-200 modelもしっかりと高額品のステータスであることには変わりません。つまるところ、SJ-200は最上の中の最上なのです。
しかし、なんと素晴らしいギターなのでしょう。構造上は、限りなくスタンダードです。シトカ・スプルース・トップ、カーリー・メイプルの側板と裏板(第二次世界大戦以前は側板と裏板はローズウッドでした)、ローズウッド指板に、SJ-200に付加された装飾的なブリッジやインレイなどです。トップのウッドのグレイン(柾目の木目)をこれでもかと見せ付けるありのままのビッグなボディサイズなども言うに及びません。弁解や謝罪は無用で、さあ、マッチョなアコースティックギターを持ってみましょう。大きなボディと釣り合うような大きなサウンドといっしょに。
SJ-200のインパクトはざっとそういう感じなのです。ですから、他のアコースティックギターと混同してしまうようなことはまずないでしょう。(同じJ-200系列のモデル同士では混同もありえますが) 本当に、通常は神聖なエレキギターが出番となる大胆なロックンロール演奏の場面において、唯一アコースティックギターで出て行けるのはSJ-200だけだといえます。ギブソンの偉大なモデル群のなかで、SJ-200は、Les Paul、Flying V、そしてSGなどと同様に存在感を示しています。
SJ-200 Players
以下にご紹介するのは、J-200を使用する最高の著名ミュージシャン達の紳士録となります。
純粋に申し上げて、彼ら“King”はそれぞれがお気に入りのキング・オブ・ザ・フラットトップ(フラットトップの王様)を所有していました。Elvis Presleyが50年代にプレイしていたメインのJ-200は、実はエルヴィス同様にギブソン・レジェンドであったScotty Mooreにより、エルヴィスのためにと用意されたギターだったのです。なぜですって?エルヴィスのマネージャーである“Colonel” Tom Parkerは、エルヴィスがどんなギター・メーカーとのエンドースメント契約だろうとを許可をせず、Scottyにそのギターを(エルヴィスのために)買わせたのです。
エルヴィスは数本のJ-200を持っていて、最も有名な1本は、指板にエルヴィスの名前がインレイされていて友人のCharles Underwoodによってカスタムメイドされたレザー・カヴァーも付属している1本です。70年代の前半あたりまでは、複数のJ-200を弾き続けていました。エルヴィスのカスタムメイドされたJ-200とUnderwoodの製作したカヴァーは、永久的なコレクションの一部としてGracelandに展示されています。
Jimmy PageもJ-200を広範囲にわたって使用していました。デビューアルバム(Led Zeppelin)の中の “Your Time Is Gonna Come”、“Babe I’m Gonna Leave You”、“Black Mountain Side” などでJ-200が使われており、おそらくそのギターは、同僚である60年代のイギリスの腕利きセッションマンである“Big” Jim Sullivanから“Little Jim”へ貸与されたものです。ペイジは後年、“あのギターは本当に美しく最高だった”と語り、こう付け加えました。“あれほどまでのクオリティをもつギターにあの頃以来出逢ってないんだ。当時へヴィーゲージを張っていたのだが、へヴィーゲージを張っている感じが全然しないんだ。とても弾きやすかったし、本当に分厚いサウンドだったんだ”
Pete TownshendのJ-200はThe Whoのサウンドを決定づけるアコースティックギターです。ピートはJ-200を使って“Pinball Wizard”を作曲し、The WhoのアルバムTommy以降のほとんどすべてのレコーディングにJ-200を登場させています。“あのギターは1968年にニューヨークのManny’s Musicで、5本の中から選定した1本だったんだ” とピートはGibson.comに語り、こう付け加えました。“あのギターはパリっとした歯切れの良いサウンドで、ネックの感じもご機嫌なんだ。J-200は強く弾いた方が録音の時にはいいんだと分かったのは暫く後になってからだったんだ。Everly BrothersのJ-185と同様に、かなりデッドな響きの表板なので、ストロークするときにはかなり強く弾き込む感じで弾けるんだ。ピエゾ・ピックアップで活き活きしたサウンドを得ることは難しいですね。この出音は実際の空気感を伴ってはじめて特徴的になるのでね。ボディの形状、ネック、そしてありのままのこのギターが持つ力、そのすべてが自分には必要なんだ。見た目も完璧で美しいしね” 同感!!まったくそのとおりですよね。
Bob Dylanも彼のSJ-200を愛用しています。最も有名なところですと、ディランはあの画期的名作、Nashville SkylineのジャケットをJ-200とともに飾っています。2015年にギブソン社は、ヘッドストック上にボブ・ディラン本人のデザインによる“Dylan Eye”ロゴの採用など、カスタムな仕様満載のBob Dylan SJ-200 Player’s Editionの製品リリースを行いました。本人直筆のサインが施されたThe Autographed Collector’s Editionのほうは、更に華麗に装飾が施された“Bella Voce”インレイとピックガードが際立っています。両エディションともに、ボブ・ディランの理想を形にした究極のデザインを誇るJ-200モデルとなっています。
George HarrisonもJ-200を、“The White Album”として知られているThe Beatlesの作品以降で使い続けています。“For You Blue”、“Here Comes the Sun”、“While My Guitar Gently Weeps”、“Long, Long, Long”、“Piggies”などの楽曲でジョージのJ-200を確認できます。ハリソンはまた、彼のソロデビューアルバム、All Things Must Passのほとんどの楽曲をJ-200で作曲しました。ビートルズファンの中では、ハリソンの最初の1本はディランから借りたSJ-200で、その後、ディランへ返却済になっていると考えられています。
Emmylou Harrisもまた、当時はJ-200をほとんどのアルバムでプレイしており、アルバム、Angel Bandでは、Gram Parsonsからエミルーへ贈られたJ-200とともにジャケットに登場しています。エミルーは後に、J-200のクールさはそのままに小さな手のサイズでも馴染むようなスモールボディのL-200をギブソン社に依頼して製作してもらい、そのギターは後にエミルーのシグネチャーモデルとして発売されました。
The EdgeもまたJ-200の大ファンです。彼は、J-200をU2の楽曲制作において大定番のアコースティックとして位置づけ、大きな信頼を置いています。U2のアルバム、How to Dismantle an Atomic Bombでの “Love and Peace or Else”において、エフェクトやスライドを用いてプレイされるJ-200のサウンドが確認できます。 エッジはこう回想しています。“先ずエレクトリックでプレイしようと試みたのだが、それではありきたりな感じがしたんだ。そこで、アコースティックギターをマイク録りしてやってみたら、強烈に耳に残る感じでより際立った感じで録れたんだ。とてもクールなサウンドだと思う。最高の出来栄えだと自負しているよ”
The Everly Brothersも大ヒット曲、“Bye Bye Love” and “Wake Up Little Suzie”などでカスタマイズの施されたGibson J-200を使用していました。1962年には、DonとPhilは後のGibson Everly Brothersモデルの基となったJ-200を手にしており、そのギターはボディ幅を7/8インチ分縮小し、アジャスタブルブリッジを搭載し、マザー・オブ・パールの星型のポジションマークをマホガニーネックの指板上にインレイし、ボディトップの両サイドにピックガードを装着させたものでした。
Gibson Billie Joe Armstrong J-180モデルはEverlys’モデルがベースになっていて、Green Dayのビリーのシグネチャーモデルは、J-200モデルから派生するスピンオフ製品だといえます。
Ron Woodも長年にわたりJ-200のファンでした。彼はRolling Stonesでのアコースティックギター使用曲でのほとんどで、J-200を使用してきました。1997年に、“Woody”は、ゴージャスなインレイが施されたダブルピックガード仕様が特徴的なシグネチャーモデルをリリースしました。このモデルは今日、市場でみかけることが非常に稀なレアアイテムとなっています。
その他にも、Noel Gallagher、Neil Young、Chris Isaak、Gary Davis(聖職者)、Bruce Springsteen、Earl Slick、David Crosby、Ellie Goulding、Alex Turner、Black Rebel Motorcycle Club’s Robert Levon Been and Peter Hayes、Jeff Bridges(俳優)、Justin TimberlakeそれにLady GagaもJ-200を愛用するミュージシャンとしてご注目ください。J-200のファンクラブへ皆様ようこそ!!
Gibson SJ-200s in 2017
Gibson 2017ラインアップでは、数種類のスーパージャンボモデルをご用意しております。
Gibson SJ-200 Standardは最初のSuper Jumboからの直系の血筋をひくモデルです。現行モデルではLR Baggs Anthem pickup systemの採用、PLEKによる精密なセットアップ、 Gold Groverチューナーの採用など、モダンな仕様が施されています。ナチュラルかサンバーストのカラーをお選びいただけます。
Gibson SJ-200 Vintageは、サーマリー・エイジド・トップ(エイジング処理されたボディトップ)の採用、VOSフィニッシュによるエイジド感のある風合い、手作業で成型されたボーンナット、エイジド処理が施された弦巻きの採用、などが特徴です。ヴィンテージ・サンバースト・フィ二ッシュのみご用意しております。
違った価格帯・風合い・フレイヴァーをお求めの皆様にはSJ-100 Walnutをお勧めいたします。200ではなく100なのです。但し基本的には同系統のギターなのです。ボディバックとサイドは過小評価されがちですが立派なトーンウッドであるウォルナットが使われており、指板にはグラナディーラを使用しシンプルなドットのポジションマークを採用、プレックによるセットアップとピックアップにはLR Baggsのアンセムを採用、という仕様です。美しいハニーバーストのカラーで仕上げられております。
その他、リミテッドエディションのJ-200モデル達が各ショップの店頭を賑わせていることでしょう。The Montana Gold Mystic Rosewood、Quilt SJ-200s in Viper Blue、Amber Quilt、 Autumn Burstなど、思わず息を呑むような美しいSJ-200モデルの様々なヴァリエーションの数々を、どうぞギブソン・ディーラーにお立ち寄りいただいて、是非お手にとってみてください。
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Whip-Crackin’ Whitley and the Super Jumbo
これはほとんどの方がご存知ないでしょう。当時のギブソン社に最初のスーパージャンボをデザインさせ、製作するよう働きかけたのがRay Whitley (1901-1979)だった、ということを。Whitleyはカントリーのヒット曲、“Back in the Saddle Again”の作曲者で、54本もの映画にGene Autryとともに出演したことがある人物です。Whitleyはその曲、“Back in the Saddle Again” をAutryへ 200ドルで譲ってしまったのです。なんてことを!!ホイットリーはまた、James Dean主演の映画、Giantにも出演していました。また、ホイットリーは本モノのカウボーイの技も習得していました。ホイットリーは片手でムチを一振りして、タバコを吸う男の口元からタバコだけ取り去ることもお手の物だったのです。ホイットリーはまた、他のギブソン・ブランドのギターもエンドースしていたのですが、それはRecording Kingブランドというセカンド・ブランドで、1939年に通販会社のMontgomery Wardsから販売されていたギターでした。
Gibson社は1994年にカスタム生産されたRay Whitley modelを製作し、2011年には改めて“Super Jumbo”のパイオニア(先駆者)であるRay Whitleyを、彼の死後に企画・商品化された限定商品であるRay Whitley Specialのリリースをもって賞賛しました。この両方のモデルはいまやたいへん貴重なギターとなっています。ホイットリー自身のSuper Jumboは現在、ナッシュヴィルにあるCountry Music Hall of Fame in Nashville(カントリーミュージックの殿堂)に展示されています。