Gibson.comの本連載記事では、ギブソンギターをプレイしてきた偉人達のプレイスタイルやギターについて取り上げています。今回はジャズ界の天才、比類無き才能の持ち主であるウェス・モンゴメリーについて掘り下げます。
ウェス・モンゴメリーとは?
ジャズギターにおける巨匠です。もしくは、率直に言ってジャズに限らず、ギター界・音楽界全般においてそう呼べます。John Leslie Montgomery (1923 – 1968)は45歳でこの世を去っていますが、後世に信じられないほどの遺産を遺しています。“Wes” という名前は、ミドルネームを幾分捻じ曲げた彼の愛称なのですが、意外にも彼が6弦ギターを弾き始めたのは20歳の頃と遅く、チャーリー・クリスチャンに影響を受けてのことでした。ところが、彼は程なくスターになるのです。
もし、私がジャズは難しいなと漏らす場合、おそらくそれは私だけのことではないと思います。確かに、プレイするのは難しいです。時には、ジャズを聴くことすら、更に難しく感じます。ところが、ウェスはジャズを馴染み易いサウンドに仕立てたのです。彼の演奏は、起伏があったり、生々しかったり、滑らかだったり、ときにはポップでした。ところが、特筆すべきは彼の完全なる音楽性だったのです。そうです。敢えて言いますが、彼がギターをプレイできたということはそれほど重要なことではありません。音楽性同様、彼の着こなしぶりもまったく曇りがないほど申し分なかったのです!
ウェスは、彼の滑らかなギターサウンドに比して、筋金入りの硬派なプレーヤーでした。彼は、活動初期の1948年-1950年頃、Lionel Hamptonのバンドの一員としてツアーしていたのです。しかし、最終的にはインディアナポリスの生まれ故郷に戻ることになります。8人の家族を支えるため、ウェスは朝の7時から午後3時までは工場で働き、帰宅後にギターの練習をし、その後地元のクラブで夜9時から夜中の2時まで演奏していたのです!
モンゴメリーは独学でした。彼は、どうにかして一音一音、チャーリー・クリスチャンの演奏をよく聴くことでギターを習得しました。ジャズには往々にして過去の作品への再解釈の姿勢が必要とされます。しかし、ウェスは自分の生きた時代の楽曲にウェス印を加え、楽曲を進化させました。彼はまたオリジナル曲も書きました。彼にはユニークな業があり、それはジャズギターを主流の音楽に馴染ませるというヴィジョンであり、彼には純粋な、どのプレイヤーも評価すべきギターへの愛情がありました。
シグニチャーサウンド
ずばり、オクターブ奏法です! モンゴメリーのサウンドは瞬く間に、オクターヴ奏法と定義づけられました。ジャズギターの教育者であるWolf Marshallによると、モンゴメリーはしばしば、3段階でソロを発展させるアプローチをとっていました。つまり、まずはスケールやモードから導き出される単音のラインでコード進行に乗ってプレイし始め、数コーラスをこなした後、オクターヴ奏法で盛り上げていき、最終的には、ブロックコードで頂点まで到達するという具合です。モンゴメリーは、ソロを構成するアイデアとサウンドの主要な考え方として、ほとんどの場合、スーパーインポーズした(和音の上部構造を重ねていった)トライアド(3和音)やアルぺジオを用いていました。
モンゴメリーのオクターヴ奏法はこんな感じでした。2本の弦で1オクターヴ違いの同音程をプレイし、それこそがモンゴメリー印のサウンドとなったのです。それは、“the Naptown Sound”と呼ばれるようになりました。Naptownというのは、彼の本拠地のインディアナポリスのニックネームだったのです。
Guitar Player誌の前編集者であるJim Fergusonの言葉によると、ウェスはギターをホーン(管楽器)にようにプレイしていました。彼のフレーズはホーン的でした。通常のギタリストのフレーズとはかなり違い、ウェスは傑出した存在だったのです。ところが暫くすると、多くのギタリストはウェスを見習いはじめます。Pat MartinoやEmily Remler、Pat Methenyや彼のもっとも親密な友であるGeorge Bensonもそうです。スタイルがかなり異なると思われるジョー・サトリアー二でさえも、ウェスからの多大な影響について言及しています。ウェスの影響力はジャンルを超越していたのです。ウェスはロケットのようなソロをキメていましたから。
ウェスは異端であり続けました。ピックを使用する代わりに、彼の肉付きのよい親指を使って弦をはじいていたのです。単音弾きのときのダウンストローク、そして、コード弾きやオクターヴ奏法時のアップストロークとダウンストロークのコンビネーションなどを駆使していたのです。
ウェスがこのユニークなテクニックを駆使するようになったのは、技術的な理由ではなく近隣への配慮が理由でした。彼が機械工として長時間にわたり工場で労働していた頃、ギターの練習時間は夜中だったのです。近隣から苦情が来ないよう、ウェスは親指を使って静かに騒音を出さないように弾き始めたのです。
ジョージ・ベンソンは、Ultimate Wes Montgomeryというアルバムのライナーノートで、こう記しています。“ウェスの親指にはマメがあったんだ。そこが彼のサウンドのポイントなんだ。彼はあるサウンドは親指の柔らかい部分を用い、あのウェスらしいサウンドはマメの部分を巧みに使っていたんだ。その点が、もう誰にもウェスには敵いっこないところだね。また、ウェスの親指の関節はとても柔らかかったんだ。彼は、親指を後ろに反らせて手首にくっつけることができたんだ。彼はそれをやって見せて、よくみんなを驚かせていたんだ”
つまるところ、ウェス・モンゴメリーのような人物は2人と存在しないということです。ジャズギターが当時メインストリームになったのは、ウェスあってのことなのです。
ウェス・モンゴメリーとギブソン
ウェスは、そのキャリアのほとんどすべての時期において、ギブソンをプレイしていました。ウェスともっともつながりがあり、ウェスを連想させるモデルといえば、L-5 CESです。ギブソン・カスタムは現在も、当時の仕様に忠実なレプリカを生産しています。ウェスは活動初期に、P90やアル二コピックアップを搭載したバージョンの複数のL-5をプレイしていましたが、その後、尖ったフロレンタインカッタウェーではなくラウンドカッタウェー仕様で、指板のエンド部分にハムバッカーピックアップを1基のみ搭載したカスタムメイドのL-5をオーダーしました。
これは、ボディの大きなジャズギターです。ですが、同時に大変美しいのです。私も一度プレイしたことがあります。サウンドも見た目も最高でした。私がウェスのようにプレイできるのかって? うっ。はい、忘れてください!
試聴必須の楽曲リスト
歴史上受け継がれている多くの偉大なアーティスト同様、ウェスにも多くのコンピレーション盤が遺されています。Ultimate Wes Montgomeryは、ヴァーヴ・レーベルからの音源による14曲のハイライト集です。これはジョージ・ベンソンにより編纂されたアルバムで、ライナーノーツもジョージによるものです。
しかし、複数のオリジナルアルバムからなるボックスセットをお求めになるのもお勧めです。The Classic Recordings 1958 – 1960やThe Classic Recordings 1960 – 1962は非常にお求め安い価格にもかかわらず、ほとんどすべての楽曲を網羅しています。これらの初期リヴァーサイド・レーベルでの音源の中には、より気骨のあるプレイが収められています。
要注目!
ウェス・モンゴメリーの実際に演奏する動画は極めて貴重です。Live in '65 (3本のギグ、3組のバンド演奏)の映像が残されています。ウェスの演奏を少しだけかじってみたい方には、彼の見事な指さばきが確認できる、ロンドンでのライヴ映像が残されていますのでお勧めです。
もし、今までインスト音楽のジャズは自分には合わないな、と思われていた方にとっても、ウェスの音楽はジャズへの見方・感じ方を変えてくれる良いきっかけになるかもしれません。