もし、ブルースの疫病神を取り込んだシンガー兼ギタリストがいるとすれば、それはロバート・ジョンソンのことです。彼が初期にレコーディングした音源は、彼を慕う数多くのフォロワーを生み出しました。そして27歳での早すぎた死により、彼は決してどこにも消えてなくなりはしない伝説となったのです。
ロバート・ジョンソンとは?
“ザ・キング・オブ・デルタ・ブルーズ・シンガー”です。 そう呼ばれるのに留まらず、彼の死後、後年、1960年代にリリースされたデビューアルバムは、音楽の世界で最も魅力ある人物のひとり、ロバートへ注がれる大衆からの関心を煽ることとなりました。
ジョンソンは、ブルースとロックの歴史に巨大な影を落としています。それは、彼の音楽の革新性、彼の儚い人生にまつわる神話性、この二点によるところが大きいのです。
ジョンソンの生涯と死は、謎に包まれたままです。彼の生誕日も依然、謎のままです。彼の死因は、公には明かされていません。彼の本当のお墓は、依然として議論されるテーマです。最も強力な神話となっているのは、彼のギターの腕前についてです。ジョンソンは、ファウストの悪魔に魂を売る契約を交わした神話の源なのです。
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最初はロバートのギターの腕前は酷かったんだ、と当時の仲間達は語っています。Son HouseはLiving Bluesの中で、ジョンソンとの演奏はどんなだったか、回想していました。Houseはこう記していました。“こんなイカサマは聴いたことがないぜ! そんなんじゃ聴衆は怒るぜ。そうだろ。皆、こう言うだろうよ。'皆であのイカサマ野郎からギターを取り上げようぜ! 奴は聴衆を本当に怒り狂わせているぜ!” ところが、ほんの数ヶ月後には、ジョンソンはデルタ・ジュークスに戻ってきて、誰よりもいいプレイをしました。あのマディ・ウォーターズでさえも、ジョンソンが街角でプレイするのを見て、その腕前にびっくり仰天だったと認めていました。
ジョンソンは十字路で悪魔と会っていたのでしょうか?悪魔はジョンソンの魂と引き換えに、調子っぱずれだった彼のギターの調子を合わせたのでしょうか?神話によると、その答えはyesなのです。
私は90年代中盤ころ、晩年期のDavid “Honeyboy” Edwardsを取材しました。彼はデルタ・ブルースの偉人で、その昔ジョンソンの友人であり、ジョンソンが亡くなる数日前に、ジューク・ジョイント(安酒場)でジョンソンといっしょにプレイした最後のミュージシャンでした。
ジョンソンの“悪魔との契約”について、Honeyboyはこう語りました。“それについては分からんな。ジョンソンにその話を聞かされたことはあるが、分からんな” Honeyboyはその時点で一呼吸置き、念入りに答えるのを止めました。おそらく、今まで、“悪魔”に関する質問をこれでもかとされてきたからでしょう。
“ロバートは素晴らしいギター弾きだったよ。間違いないね” とHoneyboyは語り、こう加えました。“彼も酒好きでね。私はよく田舎街でクロスロードをプレイしたのさ。ロバートも同じ感じだったんだ。私達はコード(和音)を学びながら、遂には私はコード(和音)の本を手に入れたんだ。だけど、実際は他のブルースプレイヤーから学んだんだ。‘えっ、それどうやってるの?どこに指を置くんだっけ? といった感じでね。でもね、やはり、ロバートはギターが上手かったね”
神話によると、ジョンソンの死因は、ジョンソンに対して嫉妬した夫君に毒を盛られたことによる、とされています。自分の妻に対しジョンソンが手を出してきて、いい関係になったことに夫君が激怒してのことです。“ロバートは女性好きでしたね。私もそうですが” とHoneyboyは笑い、こう続けました。“自分にはわからんな。ロバートはある日ぱたっと居なくなったんだ…だけど、彼はまたいつか現れるだろうね。だから、自分には謎めいたことではなかったんだよ”
ジョンソンの悪魔との契約の概念は、彼の最も祟られた楽曲の中の1曲で飾りたてられています。“Me and the Devil Blues” という曲の歌詞はこうです。“Me and the devil walking side by side” や“hello Satan, I believe it’s time to go.”という具合です。“Cross Road Blues”や“Hellhound on My Trail”といった楽曲も加えましょう。これでお分かりでしょう。どうして人びとは、未だにロバート・ジョンソンの悪魔との契約の神話を信じているのか、ということを。
シグニチャーサウンド
先ず、最初にジョンソンの声について、何といってもあの不気味な呻き声です。皆さんも模倣できるかもしれません。それに比べれば、ジョンソンのギター演奏は、トリッキーではありますが見習うには良いのかもしれません。
ロバートも聴いたことがあったプレイヤーなのですが、ジャズ・ブルーズを開拓したギタリストのLonnie Johnsonのように(姓は同一ですが血縁は無関係)、ロバート・ジョンソンは時折、ドロップDのチューニングを使用しました。“Drunken Hearted Man” and “Malted Milk”や“I’m gonna beat my woman/Until I’m satisfied”などの楽曲においてです。ドロップDチューニングは、D-A-D-G-B-Eのチューニングです。
またジョンソンは、オープンG(D-G-D-G-B-D)チューニングも使用しました。それは後にキース・リチャーズに影響を与え、キースお気に入りの5本弦による(G-D-G-B-D)チューニングを生むことになります。ロバートの楽曲、“Love in Vain”をローリング・ストーンズはカヴァーし、オープンGチューニングでのジョンソンの演奏の真髄を踏襲しています。
ジョンソンはまた、より典型的なデルタ・チューニングであるオープンD(D-A-D-F#-A-D)やオープンE (E-B-E-G#-B-E)も使用しました。これらはオープンEマイナーとともに、スライドギターには格好のチューニングです。“Hellhound on My Trail”で聴けるロバートの嘆き叫ぶヴォーカルに寄り添う不気味なギターサウンドは、デルタ・チューニングによるものなのです。本当に、オープンEマイナー(B-E-B-E-G#-D)は、多くのロバート・ジョンソン愛好家達によって、“the Devil’s tuning”(悪魔のチューニング)と呼ばれています。耳について離れないトーンと威嚇的なトライトーンを内包しているからです。オープンAは、“Come On in My Kitchen”、“Crossroads Blues”や“Terraplane Blues”で聴くことができます。
ロバートの指は長く、彼はベース音と高音のリード部を同時に、複雑なリズムで演奏しようと試みていました。キース・リチャーズはこう認めています。ブライアン・ジョーンズが初めてキースにロバート・ジョンソンのカヴァー演奏を披露したとき、キースはこう言いました。“ブライアンに言ったんだ…'君と一緒にプレイしているもう一人のプレイヤーは誰なんだい?' キースはその演奏は純粋に2人で演奏しているものと思っていました。
“ロバート・ジョンソンは一人オーケストラのようでした” キースはそのように評価し、こう付け加えています。“彼のベストな作品の中には、ほとんどバッハ級の楽曲の構造をもっている作品があります...見事なまでのインスピレーションの炸裂と言えるね”
伝説によれば、ジョンソンは、ホテルの部屋の隅に向かって自作曲をレコーディングしていたようです。2004年リリースのKing Of The Delta Blues Singers Vol IIのジャケット画はその様子を再現したものです。
ライ・クーダーの推測によれば、ロバートは部屋の隅に向かい合って演奏することでギブソン・サウンドの響きを拡張させていたのではないか、とのことです。クーダーはこのテクニックを“corner loading”と呼んでいます。また、他のミュージシャンの推測では、ジョンソンは単純に彼の秘技を他人に見られないように隠していたのではないか、ということです。こういったことのすべてが、伝説となっているのです。
ジョンソンがもたらした後世への影響のストーリーです。ジャック・ホワイトは、ブルースに夢中になったことをこう告白しています。“先ずは、Howlin' Wolf、CreamそしてLed Zeppelinなどの楽曲をいろいろとやってみたのです。ところが、Son HouseとRobert Johnsonを聴いてみた時、完全にぶっ飛びましたね。こんなに素晴らしいプレイヤーを、自分の人生で今まで見落としてきたんだって。Son HouseとRobert Johnsonの音楽に出逢って、もうそれ以外の音楽は処分していいと思ったし、ただただブルーズの魂と真実に向き合うようになったんだ”
ジョンソンは明らかに、様々なオルタネート・チューニング(変則チューニング)を使用しました。しかし、1930年代のデルタ・ブルーズのプレイヤーにしては、彼の指は、時に信じられないほどに俊敏ではないかと思えます。しかしながら、それは真実ではないのでしょうか?
2010年5月のThe Guardian誌にて、音楽ライターのJon Wilde氏はこう述べています。“音楽学者の中での共通したコンセンサスではありますが、我々が慣れ親しんでいるロバート・ジョンソンの演奏は、少なくとも20%早回しで聴いているものだということです。当時、最初に78 rpmのレコードが登場した時に、過って録音内容の再生速度が上げられた、ということです。もしくは、他の推論では、録音内容がもっとエキサイティングな内容になるようにと、意図的に再生速度が上げられた、と見られています"
前ソニーミュージック幹部のLawrence Cohnは、1991年のジョンソンの作品群の復刻でグラミーを勝ち取りましたが、こう認めていました。“ジョンソンの1936年から37年のレコーディング作品の再生速度は、上げられたものである可能性があります” もともとオリジナル盤を制作したOKeh/Vocalionレーベルは、そのリリース作品のスピードを変えることで悪名高かったのです。“時には78rpmであったり、また別の時は81rpmだったりしました” とCohnは語りました。
ロバート・ジョンソンのオリジナル原盤は、長らく行方知らずのままです。ですから、今後もう分かりようもないことではないでしょうか?
ロバート・ジョンソンとギブソンギター
広範囲に及ぶジョンソンの愛器の概要のような情報はありません。彼を確認・検証できる写真はたったの2枚しかないのですから! しかしながら、ロバートの愛器はGibson L-1だったのです。フラットトップのほうのL-1です。(L-1にはアーチトップモデルも存在しました。)1926年にデビューしたモデルです。それから90年後の現在、多くの改良が施されたGibson L-1 Blues Tributeをチェックしてみてはいかがでしょうか?
2016年にリリースされたL-1 Blues Tributeは、サーマリー・エイジド・アディロンダック・レッド・スプルース・トップ、マホガニーによる裏板と側板という材構成です。フェイドしたヴィンテージ・サンバーストは、当時と同様の拘りある仕様を一層引き立てています。指板の両サイドのエッジに丸みをつけることで、より滑らかな演奏性を実現しています。また、最新のテクノロジーも盛り込まれています。プレックによるセットアップやLR BaggsのLyricマイクの採用により、この伝統あるスモールボディのモデルが、ビッグなトーンを獲得しているのです。
L-1 Blues Tributeの背負う遺産を疑うことなど、できようもありません。滑らかなVOSフィニッシュで仕上げられ、へッドストックには“The Gibson”のロゴが輝いています。歴史はくりかえすでしょうか?
試聴必須の楽曲リスト
1990年リリースの2枚組み、Robert Johnson The Complete Recordings、もしくは2011年リリースのアウトテイクを含む'Centennial Edition'でしょう。ジョンソンの音楽の楽しみの半分は、他のアーティストがどのようにロバート・ジョンソンのオリジナルのレコーディング内容を推定し解釈するのか、ということでもあります。
クリームによる力強い“Crossroads” は“Crossroad Blues”からの発展形です。この演奏により、クラプトンのソロイストとしての名声は確固たるものとなりました。クラプトンのMe and Mr Johnsonというアルバムでは、ロバート・ジョンソンのオリジナルにより忠実です。エリック・クラプトンの誠実さを疑うことなどできません。彼はこう語っています。“ロバート・ジョンソンはかつて存在したブルースマンの中で、最も重要なミュージシャンだね。彼以上により深くソウルフルな作品には出会ったことはないよ。彼の音楽は今も変わらず、人間の声に宿る力強い叫びがあるんだ” ピーター・グリーンのThe Robert Johnson Songbookも秀逸です。個々のジョンソンの楽曲については、各々のカヴァー音源をチェックしてみましょう。Led Zeppelin (“Traveling Riverside Blues”)、The White Stripes (“Stop Breaking Down Blues”)、Fleetwood Mac (“Hellhound On My Trail”)、 Muddy Waters (“Walkin' Blues”)、Keb Mo (“Come On In My Kitchen”)などの試聴がお勧めです。
さて、下記ではストーンズの70年代の演奏、“Love In Vain”をお楽しみいただけます。レス・ポールを用いた素晴らしいスライド奏法を聞かせてくれているのは、若干23歳のミック・テイラーです。
キース・リチャーズにとってのロバート・ジョンソンの魅力はとてもシンプルです。キースはこうコメントしています。“ブルーズがどんなに素晴らしいものなのか知りたいって? ロバートを聞けばわかるさ”