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およそ70年もの間、J-45モデルはギブソンの歴史的定番モデルということだけではなく、アコースティックギターのデザインにおける業界標準であることを証明してきました。J-45のデザインは、ほとんど変わらないままであり続けています。最高のアイデアというものは、常に最初に浮かんだものである、ということを立証しています。ギブソンJ-45のストーリーは続いていきます。J-45について、皆様に知っていただきたい事柄を以下に列挙します。

 

 

 

 

  1. J-45は、ラウンドショルダー・ドレッドノート・ラインにおける“ジャンボ”シリーズの一角を成していたモデルです。ジャンボ・シリーズの始まりは1934年に遡ります。”Gibson Jumbo”というフラットトップモデルのリリースから始まりました。

  2. J-45がリリースされた1942年という年は、新企画のギターの発売を開始するには、最高のタイミングとは言えませんでした。第二次大戦が猛威を振るい、時代背景は過酷でした。材木や金属の商用での使用について、政府によって課された配給量が決められていました。ギブソンの生産に携わる9割の人員は、戦争関連の生産活動に駆り出されました。残されたギブソンのルシアー達は、J-45の生産のために4ピース・トップのスプルース材を使わざるを得ませんでした。(スプルース材は当時たいへん貴重でした。)当時、スプルース材は、米国の飛行機製造にも用いられていたからです。

  3. J-45のフィニッシュは、元々サンバーストフィニッシュの1色のみでした。なぜでしょうか? サンバーストフィニッシュは、数枚のトップ板がつなぎ合わされた当時のトップ板には絶好のフィニッシュでした。サンバーストフィニッシュは材の繋ぎ目をより目立たなくすることに成功していました。1940年代製造のサンバーストフィニッシュのJ-45は、今では大変貴重となっており、コレクター垂涎の的となっています。

  4.  J-45の“The Workhorse”というニックネームは、ギブソンによって作られました。当初のアイデアでは、派手ではなくスタイリッシュで、どんなアコースティックギター弾き達にとっても価値ある鳴りの素晴らしいギターを作り出そう、というものでした。
  1. J-45は、1930年代リリースのJ-35が進化・発展したギターです。J-45のリリースに際し、ボディトップのXブレーシングが改良され、ネックはJ-35の明確なVプロファイルとは異なり、丸みのあるラウンドプロファイルが採用されました。

  2. 1943年、ギブソン社は、トラスロッドを仕込んでいないメイプルネック仕様のJ-45を数本製作しました。第二次大戦の影響下、ギターメーカーにとって、依然として鉄の 配給が不足していたからです。1943年製のJ-45では、マホガニートップ仕様であったり、オールメイプル仕様の個体も存在しました。

  3. J-45は、今までもこれからも、ギブソン・アコースティックギターの中でトップの売れ行きを誇るギターです。

  4. ジョン・レノンは、Gibson J-45をプレイすべきだという閃きを得ました。ビートルズがインドのRikisheshを訪れた1968年、ともに帯同していたのはスコットランドのフォーク・ポップ・シンガーのDonovan Leitchでした。Gibson J-45を使用したドノヴァンによるパフォーマンスに感銘を受けたレノンは、ドノヴァンにフィンガースタイル奏法(claw-hammer technique)の教えを請いました。“基礎的な部分の習得に少なくとも3日はかかるよ、と解説したんだ” とドノヴァンはコメントし、こう回想しました。“レノンは覚えが早かったよ。本来、習得には根気の要る演奏スタイルなんだ。レノンはその奏法を会得すると、嬉々として完全に新しい楽曲の着想を得たんだ。それって、生まれながらのソングライターだったら自然と起こることなんだ。特に新しい奏法を身につけた時にはね。レノンは即座に、‘Dear Prudence’ と ‘Julia’ を作曲したんだ。レノンはその奏法を使って、‘White Album’ [The Beatles]に収録された多くの楽曲を手がけたんだ”

  5. ドノヴァンは、1965年の7月、チェリーサンバースト・カラーのGibson J-45を購入しました。ちょうど、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルに参加した頃のことでした。ところが、そのギターは、1970年代の初頭に、英国のコンサートホールで盗難の被害に遭いました。ドノヴァンは今もなお、そのお気に入りの1本を探し続けています。

 

  1. 2009年、ミシェル・オバマ(オバマ米大統領夫人)は、カーラ・ブルー二(サルコジ仏大統領夫人)へサンバーストフィニッシュのGibson J-45をプレゼントしました。米国のファーストレディからのその特別な贈り物は、仏ストラスブールでのNATO(北大西洋条約機構)のサミット(主要国首脳会議)の場でのこと。カーラ・ブルー二は、女優やモデルというだけではなくシンガーでありギタリストでもあるのです。

  2. 1968年、ギブソン社は、ボディトップにねじ止めされた白いピックガードを搭載したJ-45モデルを生産しました。ところが、以後、ギブソンが同様の仕様をトライすることはありませんでした。

  3. ボブ・ディランは、1990年代中盤以降、サンバーストのJ-45を再びプレイするようになりました。ディランは、1962年に初めてJ-45を手にしました。ディランの初期のアルバムで、J-45のサウンドが収められています。

  4. バディ・ホリーのお気に入りのアコースティックギターは、Gibson J-45でした。エルヴィス・プレスリーと同様に、自身のJ-45用に作られたレザーカヴァーをギターに被せていました。そのカヴァーの上面にはホリーの名前が刻まれ、ボディの裏側のネックのそばあたりには、彼のデビューシングルからの楽曲タイトル、“Blue Days, Black Nights” と“Love Me” が刻まれていました。加えて、カヴァーの下部に沿って白色のレタリングで“Texas”と綴られていました。ホリーは自身のGibson J-45を用いて、“Everyday”、“Send Me Some Lovin’”、"It’s Too Late” など多くの楽曲をレコーディングしました。

  5. J-45 (ナチュラルフィニッシュ・バージョンのJ-50)は、その発売時以来、数多のブルースプレイヤーにとって、頼れる1本であり続けています。Pink Anderson、“Mississippi” John Hurt、Gabriel Brown、Elizabeth Cotton、Blind Gary Davis、Lightnin’ HopkinsやSkip Jamesなど、彼らのキャリアの中でJ-45(J-50)を手にしてきました。

  6. ラッシュのアレックス・ライフソンは、アルバム”2112”にて、Gibson B-45の12弦モデルをプレイしました。

  7. どうして“45”という名称なのでしょうか?製品リリース時の販売価格が$45だったからです。1942年製のGibson J-45の現在の価値は、少なく見積もっても$5,000を下ることはないでしょう。

  8. 初期のJ-45は、コレクター達にバナーモデルとして知られています。シルクスクリーン技法によるゴールド色のバナーがへッドストック上にあしらわれており、こう宣言しています。“Only a Gibson is Good Enough.” これらのギターはたいへん貴重です。

  9. J-50は、1946年に発売開始されました。ナチュラルカラーのブロンドフィニッシュの点を除けば、本質的にはJ-45と同じギターでした。

  10. James Bluntのお気に入りは、1966年製のサンバーストカラーのGibson J-45です。彼の出世作、”Back to Bedlam”で使用されました。



  1. ジェファーソン・エアプレインのJorma Kaukonenの最初のまともなギターはJ-45でした。“ギタープレイヤーになるつもりはなかったんだ” と彼はThe Jewish Standardに語り、こうつけ加えまました。“ただ歌うことが大好きでした” 彼の父親に説得してギターの代金を支払ってもらえるよう、Kaukonenは2曲を完璧に演奏できるよう、習得しなければなりませんでした。1曲は、“Jimmy Brown the Newsboy”でした。Kaukonenはバッチリやり遂げて、欲しがっていたJ-45を手に入れました。ワシントンD.C.のMストリートにある楽器屋さんで購入しました。